ここから。
いつでも、
ふりむけば、
たおらの、セカイ
人生は、一度きり。始まりは、何度でも。
朝が来るたび、新しい一日を受け取ります。それは、何度でも生まれ直せる、ということ。
昨日の自分を、責めなくていい。明日の自分を、決めつけなくていい。
たおら は、その「もう一度」のための場所です。
TAOLA ── たおやかに、道を、共に。
たお ── しなやかに、しなって、折れない。
ら ── ひとりではなく、共に。
年齢も、性別も、経歴も、立場も、問いません。
「もう遅い」と思ったその場所こそ、「いま、ここから」の出発点です。
今、ここ、目の前の人に手をさしのべる。
困っている人がいたら、足を止め、できることをする。
けれど、手が届くのは、目の前の人だけ。その距離が、ずっと、もどかしかった。
だから、決めました。手を、増やす。
わたしから学んだ人が、その人の街で、その人の隣で、手をさしのべられるように。
たおら の手わざは、誰かを癒します。だから「人助け」と呼んでもいい。
でも、もっと軽くてもいいのです。
好きで、続ける。楽しくて、続ける。役に立てて、嬉しくて、続ける。
その軽さの中で、結果として、誰かが救われていく。
それが、たおら の働き方です。
たおら のしるしは、ひとつの円 ── 円相です。
円には、始まりも終わりもなく、誰かが上で、誰かが下、ということもない。
教える人、教わる人、お客様。立場は、違います。でも、人として、上も下もありません。
肩書きも、経歴も、年齢も、性別も、ぜんぶ、円のなかでは、ただの個性です。
それが、たおら という円の在り方です。
たおら が大切にする、もうひとつのこと。
説明をしすぎると、こころが疲れます。教えすぎると、自分で気づく力が、にぶります。
だから、わたしたちは、余白を大切にします。
伝えたいことは、まっすぐ。でも、ぜんぶは、言わない。
あなたが、感じる場所を、ちゃんと、残しておく。
それが、たおら の、しずかな約束です。
わたしの仕事は、いつも、人間の真理を探す旅でした。
はじまりは、いちばん外側から。麻と綿。自然のものだけを選び、装いをととのえ、その人を美しく魅せる。
けれど、足りないと感じました。だから、もう一段、内側へ。
肌に触れる仕事へ。表情を描き、素肌を磨き、女性が見違えていく姿に、立ち会いました。
それでも、足りないと感じました。外側がどれだけ美しくても、心と体が整っていなければ、その美しさは、ほんものにならない。
だから、肌の、さらに奥へ。細胞へ、分子へ、いのちの成り立ちそのものへ。
そこには、波動があり、周波数がありました。
奥へ進むほど、気づきました。その先にこそ、心がある。心の、もっと奥に ── 魂がある。
一枚、また一枚と、扉を開けるように。わたしは、魂のコアへと、たどりつきました。
四十三年。布から、肌へ。肌から、細胞へ。細胞から、心へ。心から、魂へ。
かたちを変えながら、していることは、ひとつでした。
目の前の人が、もう一度、その人らしく在るための、手助け。
いちばん深いところへたどりついて。わたしはいま、来た道を、外へ向かって歩いています。
わたしが受け取ったものを、あなたの手に、手わたすために。
その器の名前が、たおら です。
たおら は、株式会社ScencA が運営しています。
ScencA ── シンカ。一日一日、進化し、深化し、新化する。真価を知り、神化へ。
社名に込めたのは、その願いです。
ひとつの「だいじょうぶ」を、次の「だいじょうぶ」へ。
その流れが絶えないように、わたしたちは、この器を守りつづけます。
さあ、もう一度。
誰かのために。そして、自分のために。
その「もう一度」に、わたしたちは、ここで立ち会います。
TAOLA ── ひびき、調(ととの)う。