いつでも、
ここから。
始まりは、何度でも。
朝が来るたび、新しい一日を受け取ります。
それは、何度でも生まれ直せる、ということ。
昨日の自分を、責めなくていい。
明日の自分を、決めつけなくていい。
たおら は、その「もう一度」のための場所です。
折れずに。
名前に、すべてを込めました。
たお ── しなやかに、しなって、折れない。
ら ── ひとりではなく、共に。
年齢も、性別も、経歴も、立場も、問いません。
「もう遅い」と思ったその場所こそ、
「いま、ここから」の出発点です。
増やすために。
今、ここ、目の前の人に手をさしのべる。
わたしが、課している約束事です。
スーパーのレジで。
駅の改札で。
病院の待合室で。
長い階段の途中で。
困っている人を見つけたら、
わたしは、必ず、手をさしのべます。
自分の子と、他人の子に、隔たりはありません。
家族と、家族でない人にも、隔たりはありません。
でも、わたしの手は、二本しかない。
わたしが届かない人が、たくさんいます。
だから、たおら を、はじめました。
わたしの手を、増やすために。
あなたの手も、誰かに、さしのべるために。
その軽さで。
たおら の手わざは、誰かを癒します。
だから「人助け」と呼んでもいい。
でも、もっと軽くてもいいのです。
好きで、続ける。
楽しくて、続ける。
役に立てて、嬉しくて、続ける。
その軽さの中で、
結果として、誰かが救われていく。
それが、たおら の働き方です。
たおら のしるしは、ひとつの円 ── 円相です。
円には、始まりも終わりもなく、
誰かが上で、誰かが下、ということもない。
教える人、教わる人、お客様。
立場は、違います。
でも、人として、上も下もありません。
たおら に集う人にも、隔たりはない。
肩書きも、経歴も、年齢も、性別も、
ぜんぶ、円のなかでは、ただの個性です。
それが、たおら という円の在り方です。
尽くしすぎない。
たおら が大切にする、もうひとつのこと。
説明をしすぎると、こころが疲れます。
教えすぎると、自分で気づく力が、にぶります。
だから、わたしたちは、余白を大切にします。
伝えたいことは、まっすぐ。
でも、ぜんぶは、言わない。
あなたが、感じる場所を、
ちゃんと、残しておく。
それが、たおら の、しずかな約束です。
わたしの仕事は、いつも、
人間の真理を探す旅でした。
はじまりは、いちばん外側から。
麻と綿。自然のものだけを選び、
装いをととのえ、その人を美しく魅せる。
けれど、足りないと感じました。
だから、もう一段、内側へ。
肌に触れる仕事へ。
表情を描き、素肌を磨き、
女性が見違えていく姿に、立ち会いました。
それでも、足りないと感じました。
外側がどれだけ美しくても、
心と体が整っていなければ、
その美しさは、ほんものにならない。
だから、肌の、さらに奥へ。
肌をつくる、細胞へ。
細胞をつくる、分子へ。
目には見えないほど微細な、
いのちの成り立ちそのものへ。
そこには、波動があり、周波数がありました。
体の内側を巡る、いのちの流れ。
奥へ進むほど、わたしは気づきました。
その先にこそ、心がある。
心の、もっと奥に ── 魂がある。
一枚、また一枚と、扉を開けるように。
わたしは、人間のいちばん深いところ ──
魂のコアへと、たどりつきました。
布から、肌へ。
肌から、細胞へ。
細胞から、心へ。
心から、魂へ。
かたちを変えながら、していることは、
ひとつでした。
目の前の人が、もう一度、
その人らしく在るための、手助け。
いちばん深いところへ、たどりついて。
わたしはいま、来た道を、外へ向かって歩いています。
わたしが受け取ったものを、
あなたの手に、手わたすために。
その器の名前が、たおら です。
という願い。
たおら は、株式会社ScencA が運営しています。
ScencA ── シンカ。
一日一日、進化し、深化し、新化する。
真価を知り、神化へ。
社名に込めたのは、その願いです。
ひとつの「だいじょうぶ」を、
次の「だいじょうぶ」へ。
その流れが絶えないように、
わたしたちは、この器を守りつづけます。
誰かのために。
そして、自分のために。
その「もう一度」に、わたしたちは、ここで立ち会います。
TAOLA
── ひびき、調う。
その「もう一度」は、ここから始められます。
たおら には、三つの扉があります。
あなたが訪れ、受け取れる時間です。
どの扉から入っても、かまいません。
まず、ひとつの扉に触れてみてください。